2月25日(金)
晴れ
ココロにゆとりとユーモアを
方向音痴な人がいる。
おそらく彼らに悪気はない。
そのうちたどり着くでしょう。
たぶんそんくらいに思っている。
きっとのんびり屋さんなのだ。
でも私はイライラしてしまう。
短気なのだ。
わざと迷子を楽しむならまだしも
切羽詰まっているときに間違えるなんて
あんた、戦場にいたら即死だよ
と思ってしまう。
ゆとりFUCKなのである。
例えば車を運転していて
彼しか知らない場所まで行くとする。
私は右も左も分からない。
当然彼のナビを信じる。
それがスジってものだ。
「次は右?左?」
「み、、、ひ、、、、右で、、、、、」
中央分離帯に寄り、ウィンカーを下に下げる。
助手席の彼は一仕事終えた表情だ。
信号が変わり、右折レーンが動き始める。
流れに乗り、交差点を渡り終え、アクセルを踏み込む。
「あ、、、、ごめん、、、、左だった、、、」
よくあることさ。
最初はそう思った。
でも5回連続続いたらどうだろう。
100%逆サイドへナビられるのだ。
悪意すら感じてしまう。
100発100中の衝撃と感動はあるが
もはや彼へのビリーブは粉々だ。
それでも助手席に向かって聞いてみる。
「…次は?」
「み、、、ひ、、、、右で、、、、、」
たぶん左だ。
ぜったい左。
きっと彼の中では右と左が反転しているに違いない。
ならばもう一度反転すればいいだけだ。
5回のUターンから学ぼうじゃないか。
かくして私はウィンカーを跳ね上げる。
しかしここで不安がわき起こってくる。
さんざん(というか100%)間違ってきたのに
今回ばかりは右が正解だったらどうしよう。
彼を信じ続けてさえいれば
正解にたどり着くシナリオだったのかもしれない。
神様が信じるチカラを試しているのだ。
それなのに
忍耐が足りないばっかりに
私は目の前の真実を見失いかけているのでは…。
うんうんうんうん。
そうだよ。
信じ続けることこそ友情じゃないか。
間違ったって死ぬわけじゃないんだ。
キリキリする必要なんてまったくない。
むしろ彼のチャーミングな一面を楽しめばいいのさ。
ずっと道を間違い続け、最後の最後だけ大正解なんて
なかなか得難い笑い話じゃないか。
そうだよ、そうさ。
最後まで信じてみようぜ。
と思いながらも左へ。
すると目の前にあっさり目的地が現れた。
あまりのあっけなさに拍子抜けする。
彼はほんとに100%なのだ。
正真正銘反転男。
ハラを抱えて大笑いしたものの
そこはかとない不安がいつまでも残った。
在りし日のまるやまさんの話である。
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