3月21日(月)
晴れ
仙台3日目
朝、担当医と話すため病院へ。
やはり祖父は誰の言うことも聞かないらしく
医者はあきらかに不愉快そうだった。
あまり話をしてくれず、こちらの話も聞いてもらえなかった。
バスまでの時間、駅前をぶらぶら歩いてみる。
市場には野菜や魚が豊富で、飲食店もちらほら開いていた。
しかし、ダイエーの前には数百人を超える長蛇の列。
米、パン、水を買うために並んでいるらしい。
寒空の下、行列は数ブロック先まで続いていた。
新潟で託された物資とあまった食料を手渡すため
歩いていた警官に近くで一番大きい避難所を聞く。
教えてもらえたのは病院の近くの東二番町小学校だった。
真逆に歩いてきてしまっていたので、30分近くかけて引き返す。
正門を入ると、壁もトビラも張り紙だらけ。
連絡ください、連絡ください、連絡ください、の数に圧倒される。
そっと中に入り、受付を探してみるが誰もいない。
しばらく待っても誰も来ない。
避難所とはこんなに閑散としたものなのだろうか。
外へ出ると、スエットの上下を来た金髪のカップルがいたので
こんなものしかないですが、みんなで分けてください、と物資を渡す。
「ありがとうございます、東京は大丈夫ですか?」
「はい。たいしたことありません。こちらの生活はどうですか?」
「ええ、まあ大丈夫です」
「食べ物とかはあるんですか?」
「そうですね…、まあ大丈夫です」
「そ、そうですか…」
「ほんとにありがとうございました」
「こ、こちらこそ。えっと、どうかお元気で」
物資を渡せた達成感で晴れやかな気分になったものの
それは自己満足に過ぎず、状況は何も変わらない。
そう思うと途方もない気がしてきて
空っぽになったキャリーバッグがことさら小さく感じられた。
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