逸脱者への憧れを、止めることができません。
まだ己の万能感にうちふるえていた幼少期
歴史はいつだって逸脱者が変えてきたということを発見し
わたしは“孤独な逸脱”に甘美な憧れを抱きはじめました。
しかしその頃のわたしは“人生の一回性”というものに思いが至らず
今考えれば、現実と逸脱のはざまで
期限付きのナルシズムを楽しんでいるだけでした。
ほんとうの逸脱者とはどういうものなのか
実際に気がついたのはもっとあとのことです。
今から20年前。
小学校からの帰り道、男子たちの話題は
もっぱら道端のうんこでした。
当時は「勇気の人差し指」というアラレちゃんルールが蔓延しており
とにかくうんこを見つけてはそのまわりを盆踊りのように囲み
「あぶないって」「やーめーろーよー」と叫びながら
“うんこスレスレ”のスリルに目を輝かせたものです。
あれはたしか土曜日のことでした。
土曜は午前中で下校となるので
時間としてはちょうど正午くらいだったと思います。
その日はとても良い天気だったので
帰り道の空き地にみんなで寄り道をすることになりました。
そこは“うんこの天下一武道会”と呼ばれる特別な空き地。
大きいものから小さいもの、石のように乾いたものから湯気の立つできたてホヤホヤまで
あらゆるうんこに出会うことができる場所でした。
その日もひとしきりうんこのスリルに興じ
さあそろそろ帰ろうかというころ、事件は起こったのです。
「これはうんこの乾いたヤツだ」
「いや、ぜったいに土だ」
その頃の私たちにとって、うんこにたいする洞察と批評力は
そのままグループ内での地位を決めてしまう重要なスキルでした。
毎日独自のうんこ論がぶつかり合い、新たなうんこ論が生み出されました。
その日も、「うんこ」と「土」の他愛ない論争は武力闘争へと発展し
「うんこ派」のN君と「土派」のK君のつかみ合いのケンカとなったのでした。
いつもは空き地に足を踏み入れない人々も
(うんこだらけの地雷地帯として恐れられていた)
なんだなんだと野次馬の輪に加わってきます。
その輪の中には
トップレベルのうんこ識者としてみんなから一目置かれる
I君の姿もありました。
「これ、うんこだよね」
「ちがうよね、土だよね」
と、ケンカ中の二人もI君に意見を求めます。
I君はポリポリとあたまをかきながら
「んん〜」と唸って問題のうんこに近づきました。
くんくんと臭いを嗅ぎ、ちょっと首をひねっています。
「うんこじゃないのか?」
まわりのギャラリーもつられて首をかしげたその瞬間
I君はとてもゆったりとした動作でそれをつまみあげ
パクッと口に入れてたのでした。
空き地に絶叫が巻き起こりました。
びっくりして泣いてしまった女の子もいました。
男子の多くは眉間にしわを寄せ、あきらかに逃げ腰になっています。
しかし、まだI君の口からはなにも発されてはいません。
「で、どうだった?」
おそるおそる聞くと
もぐもぐしていたI君はペッとつばを吐き
笑顔で判決を下しました。
「うんこだね。まったりしてて歯についちゃう」
一瞬の静寂のあと
「うんこ食ったぞー」という怒号とともに
その場はパニックに陥りました。
蜘蛛の子を散らすように逃げたもの
I君の口元を凝視しているもの
「どんな味?」と質問するもの
「うんこうんこ」と連呼するもの。
わたしはその熱狂のただなかで
I君の姿をまぶしく見つめ続けることしかできませんでした。
うんこという概念を一口に飲み込み
少年少女の脳裏に「まったり」という質感を植え付けたI君。
それを見た私の脳内はきもちいい物質で溢れかえり
反体制的(?)な行動にますます憧れを強くしました。
その当時のわたしにとって
彼はまちがいなくヒーロー的な逸脱者でした。
そんなI君も
今では大手家電メーカーのエンジニア。
2児の父親だといいます。
でもわたしは忘れません。
「おいしくないよー」と去っていった
あの日の彼の雄姿を。
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