毎日、しらとりが書いて、まるやまが描くブログです。

2015年4月8日水曜日

自問が難問で苦悶しつつエイプリルがカモン



4月1日(水)



「罪の意識が善意の基盤となる。過去の後ろめたさが未来の裏切りを制御する。永久に封印される禍々しき想像の力、その毒を代謝し続ける痛みに満ちた生。苦痛こそ正義を成り立たせる官能なのだ」

というような一節を読んでドキッとした。
それでこんな一節を想い出しました。

「悲痛な叫びを含まない静けさはなく、血を地面に流さない赦しはなく、痛切な喪失を通り抜けない受容はない。それが真の調和の根底にあるものなのだ」

で、平和や快適さを求める一方で、どうしようもなく犠牲や生け贄を求めるもの、他者の苦痛や絶望に好奇を煽られるもの、という思いに囚われて怖くなる。

人間にセットされたこういう心の傾向が、正義や調和を実現するカギとして必要悪ってことになるのなら、大いなる矛盾がエンドレスループですよね。

平和のために血が流されるけど、血が流れている限り平和じゃなくて、その血への罪悪感や後悔が高まり止血剤となって、やっと血が止まり平和になるんだけど、けっきょく罪悪感や後悔が薄れてくると、また血が流される必要が出てきてループ。

罪人こそ神の道へという宗教もあるけど、悪を知らずして善を守ることはできないということなのかしらん、生まれっぱなしの100%善とかはないのかしらん、とか考えて肩がバキバキにこりました。すこし嘘をつきました。






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