いま、カラダが故障してしばらく休んでいる。
毎年6月頃にたまった疲れが吹き出すのは恒例行事だが
(梅雨が大嫌いなのを60兆個の細胞が無言で表現しているのだろうか)
今年は疲労が濁流(fromゲリラ豪雨)のように押し寄せ
ダムの決壊よろしくカラダのある部分が機能停止した。
ちょっとびっくりした。
今までは「苦痛を無視しろ」というランボー(byスターローン)の教えに習い
つらい、だるい、痛い、嫌い、キモイ、むなしい、さみしい、、、などなど
自分にとって苦痛に相当するネガティブな感覚を無視してきた(つもりだ)。
さらに「やせ我慢は男の美学」的なナルシズムにも景気よく背中を押され
ゆるやかに自殺、みたいな生活をしていたのだなあと今さらながら思った。
つくづく思った。
70歳手前の両親からは「もっと丁寧に生きなさい」とため息をつかれるし
去年マイホームを購入してしまった手前、働かないわけにもいかない。
だから入院はせず自宅療養というカタチでフリーライターのように仕事をしている。
1ヵ月以上家に居続けて感じるのは、近所の工事ってこんなにうるさいのか〜とか
窓を開けておくと部屋がじゃりじゃり砂っぽくなるなあ〜とか
向かいのアパートのオーナーさん(シングルマザー50代)は
けっこう頻繁に若い男と車を乗り換えているんだなあとか
※車が常にヤン車仕様なので帰ってくると音で分かり、
窓から見える。決して覗いたわけではない。
そんなもんだ。
それでも生きていくんだ。
ってのが後ろ向きに聞こえるならとても恥ずかしいわけなんですが
(というかずっと恥ずかしい人生を送ってきているのだが)
どんどん無くなっていくものばかりだから
改めて始めるしかないないんでしょうねえ、と思っている。
あと、魚や野菜や大豆をいっぱい食べている。
それでも生きていくんだ
なあ、とか言ったらミツオっぽいよなあ
とかも、もうどうでもいいやってところまで今俺ワッショイっす。
ご迷惑かけてすいません。
蝉の声に夏の盛りを感受しましたので暑中お見舞い申し上げた次第です。
みなさまも腎臓を大切に。
0 件のコメント:
コメントを投稿