2011年
8月8日(月)
思い出
その後のマダムはスペインで消息不明
1999年。
E駅の駅前でジャンベを叩いていた。
1日3,000円〜10,000円程度の投げ銭がもらえて
道行く色々な人に話しかけられた。
ある日、ピンヒールをカツカツと鳴り響かせ
サングラスをしたマダム(ソバージュ)が近づいてきてこう言った。
今、いいかしら
あなた、本気ね
音を聞けばわかるわ
わたし、フラメンコやってるの
よかったらわたしの後ろで叩かない?
もちろんタダでとはいわないわ
きっとうまくいくと思うの
初めての練習は新大久保にある古いスタジオだった。
年季の入ったドアを開けると
マダムの両脇にワイルドな男が2人いた。
どちらもロン毛&ヒゲのバンデラス系だ。
足を組み、ギターを抱き
開け放った白シャツからは胸毛がそよいでいる。
なるほど、これがフラメンコか。
彼ら、今回のパートナー
紹介するわ
○○君と□□さん
彼氏はねえ、○○君のほう
ま、わたし中学生の息子が2人いるんだけどね
きゃはは
2時間の練習が終わると
交通費だといって1万円もくれた。
次の練習でも5千円を手渡された。
彼氏ではない□□さんが言うには
旦那が重役でお金に困っていないらしく
若いバンデラス系のミュージシャンに貢ぐ習性があるらしい。
そういえば自分もロン毛&ヒゲだ。
マダムの笑顔から覗くムラサキの歯茎が目に焼き付く。
これが大人の階段というものか。
ロン毛の男を引き連れ、マダムはいったいどこでライブをやるのだろう。
スペインバルだろうか。アダルトなレストランだろうか。
20歳のボクは期待に胸を膨らませたが
出るのはフラメンコ教室の発表会だった。
彼氏ではない□□さんの説明によると
とある大きなフラメンコ団体で、さながらマダムのお遊戯会。
つまり3人のバンデラスは発表会への供物というわけだ。
なるほどマダム。
遊びも贅沢ですね。
3回の練習を経て発表会当日。
会場は化粧品の香りと足踏みの音で埋め尽くされていた。
そこにおばさんたちのマシンガントークがミックスされるので
土木現場で街宣車がカーチェイスしているような喧噪だ。
奔放なマダムのメイクは歌舞伎ばりに濃く
胸元は叶姉妹ばりに開いている。
我々の持ち時間は15分。
首輪でつながれたロン毛の猿とカッパと豚は
ど派手な三蔵法師に連れられてステージへと向かうのだった。
ありがとう。
ありがとうございます。
次で、最後の曲です。
その前に、素敵な演奏でサポートしてくれた
今日のメンバーをご紹介したいと思います。
リードギター、○○君。(ウインク)
サイドギター、□□さん。(にっこり)
パーカッション、しらとり君。(にっこり)
そしてわたくし、、、、、
拍手もまばら、ざわつく会場に自分の名前が響く。
ただ、空耳だろうか。
ながあきー!と叫ばれたような気がする。
いや、そんなばかな。ここに知り合いがいるわけがない。
まばゆいライトに汗ばみながらそんなことを思いつつ
最後の曲はあっけなく終わっていった。
オッレ〜
楽屋前の通路。
高揚したマダムに抱きしめられ、頬はキスの嵐でベトベトだ。
ハハハと苦笑いしていると、なんだか視線を感じる。
マダムの肩越しに目線を上げると
なんと満面の笑みで手を振っている母がいた。
しかもぴょんぴょん跳ねている。
ジャンピングマザーがウェーブハンドだ。
あっらー、あなたも出てたのねー
見たわよー、さっきの演奏
太鼓の音が小さかったわ—
△△さん(我らがマダム)、お久しぶりですー
ええ、ええ、そうなんです、うちの息子なんですー
ねー、びっくりしちゃったわー
わたしもねー、これから踊るのよ—
ほほほホホー
もうほんと、まさかっすよ
うちの母ちゃんがマダムと知り合いだとは夢にも思わなかったっす
ええ、ええ、まじで
もうちょっとで母の友人と熟女プレイだったっす
いやー、今思い出してもおそろしー
という話しをSさんの店でしたら
ブルースシンガーのIさんが痛く感動してくれ
テキーラを飲み干しうなずきながら帰って行った。
そんな夜もあります。
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