毎日、しらとりが書いて、まるやまが描くブログです。

2010年3月23日火曜日

3/22





2010年
3月22日(月)
晴れ





村上春樹の「海辺のカフカ」の中で

主人公の男の子がある女性のことを考えてオナニーをし

その行為を詫びるシーンがある。

理由は、「想像したことにも責任があると思う」から。

女性に「気にしなくていい」と言われても

男の子は「そうすべきではなかった」と後悔する。

「誰かを 想像上で 辱めること」と

「誰かを 実際に 辱めること」は

彼の中ではイコールの出来事であり

彼女をオカズにオナニーするということは

彼女を犯したことと同じ意味を持つ行為なのだ。





これを読んだとき、ショックでグラグラしたのを覚えている。

主人公のストイックさに心打たれた部分もあるが

確かに「イメージすること」には見えない力がある、と自分でも思ったからだ。

例えば音楽の場合、どんな難解なフレーズでも

口ずさむことさえできれば演奏できるようになるし

逆にフレーズをイメージできなければ

どれだけ練習してもうまく弾くことはできない。

「念じれば通ず」ではないけれど

「イメージできたことは必ず実現する」

という側面がこの世界(人間の脳みそ)にはあるのかもしれない。





そうだとすると、主人公の男の子の

「想像したことにも責任がある」というひと言が

単なる“潔癖な自意識過剰”とは違った響きをもって迫ってくる。

想像をした時点で、何かはすでに始まっているのだ。

想像上では人を殺したり、犯したりしても現実に罰せられることはないが

実はそのイメージは世界に放たれていて

見えない何かに影響を及ぼしてしまっているとしたら…。





浜松町のイメクラチェックしてる場合じゃないんです。

魂のサバイブはイメージから。

HAVE A NICE IMAGE !













0 件のコメント:

コメントを投稿